JGFAの創設期からのメンバーであり、協会の監事を務められていた永野志農夫(しのぶ)氏が、かねてより病気療養中のところ、去る8月16日に逝去されました。ここに謹んでお悔やみ申し上げますとともに、故人の功績をたたえご冥福をお祈り申し上げます。享年85才でした。
8/18〜19日の葬儀にはJGFAから岡田順三会長、高澤好文相談役(グランパスゲームフィッシュクラブ)、堀葵・中日トローリングクラブ現代表、及び、中日トローリングクラブのメンバーの方々多数が参列いたしました。
永野志農夫氏は、名古屋地区ではカジキのトローリングの先達であり、中京地区の名門、「中日トローリングクラブ」の設立に関わり、当クラブの代表を永年務められました。葬儀の折に永野氏のプロフィールが披露されましたので、その全文をご紹介させていただきます。
〜故人の思い出を偲んで〜
故人 永野志農夫様は大正9年4月18日、鹿児島県鹿屋市にて郵便局長をされていた 父 茂勝様 母 テル様の三姉弟の長男として生を受けられました。
若い頃から向学心に燃え、夜学に通う傍ら歯科技工士の見習いをされ、それが故人のその後の人生の指針となったのです。昭和の激動の世をその時代の若者と同様、戦地へおもむき、そして満州にて終戦をむかえられました。
昭和23年、最愛の奥様 貞子様と結婚、それを期に歯科技工士として独立、その後歯科技工士の専門学校の必要性を切に感じ、自ら奔走され設立されました。その貢献と現在の興隆は故人の尽力のたまものと言えるでしょう。
その後名古屋城北ライオンズクラブの役員、城北自動車学校の理事等、公私に多くの要職を歴任されてこられました。
趣味においても、中日トローリングクラブに所属、その会の歴史とともに歩まれ、釣果、エピソードは数知れず自宅の玄関には釣りの写真を掲示され、訪れた方々への楽しみとされておりました。
家庭では、多くを語らず、しかし人の為には何事も一生懸命取り組まれる姿、正義感あふれる一本気な人柄、それゆえ皆様から信頼された志農夫様。
平成17年8月16日、ご家族の今ひとたびの願いも空しく永遠の眠りにつかれました故人に対し、ここに集いて心からなる感謝と哀悼の誠を捧げお別れといたします。(原文まま) |
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在りし日の永野志農夫さんとカジキ。心よりご冥福をお祈り
いたします。
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